おにわ通信 バックナンバー
日時 | タイトル |
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2022/08/30(火) 06:30 | 楽しみと緊張感と責任感のようなもの |
結局、楽しみということです。
●●●●●●おしらせ●●●●●●
告知は今日までです。
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「怒り」に関する悩みに答えます。
コメント欄に感想をお寄せください。
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おはようございます。
ゆうた先生です。
おにわ通信をお届けします。
おにわカフェの隣の高階(たかしな)幼稚園も、いよいよ2学期。
子供達・お母さま方に会えるのが楽しみであると同時に緊張感もあります。
子供達が一生ものの力を身に着けられるように力を尽くさなければ、と。
高階幼稚園の「特別」な保育を守っていくぞ、という決意もあります。
自分で言うと変な感じですが、高階幼稚園の保育は「特別」なんですよ。
何が?と言えば「相互主体性」を基本としている点が、です。
一般的に、幼稚園(保育園)というと以下のどちらかでしょう。
①先生が用意した遊びを全員でする
②子供の自由な遊びを先生が見守る
①のような「大人主体」の生活はリスクが大きいと明らかになっています。
子供を受け身にしてしまうので。
今後の社会で受け身な人間はAIに使われるだけになると予想されます。
大きな不利益をこうむるでしょう。
では、②「子供主体」の生活は?
大人の適切な援助があればいいのですが、完全な「子供主体」は問題です。
子供だけの力では、本当の充実は得られないからです。
「どうやって遊べば、私の心身は最高に伸びるのだろうか?」
例えば3歳児はそんなふうに思考できませんからね。
結果、思考・行動が浅くなりがち。
諦めやすくなることも考えられます。
もちろん5歳児であっても同じ。
さらに言えば小学生も。
そこで③相互主体的な生活です。
子供が潜在的に思い描いている【最高】を、先生が一緒に目指すんです。
高階幼稚園では相互主体的な生活を以下のように表現することがあります。
「乗り移るように保育する」
「子供と大人の脳が納豆の糸で繋がっているイメージ」
伝わるでしょうか?
大人が考えた遊び(ひどい場合は「勉強」)を子供に与えるのではなく、
すべて子供に任せて「見守る」という言葉でごまかすのでもなく、
一緒に考え、動き、もがき、汗をかいて【最高】を目指すんです。
これ、文字にすると簡単に思えるかもしれませんが、
びっくりするほどクリエイティブ。
「こんなに頭を使う仕事、他にないんじゃないか?」と、担任の先生達を見て、いつも感動しています。
本当に毎日、それも何度も「すごいな」と心が動くんですよ。
幸せな体験です。
先ほど、この保育を「特別」と言いましたが、実は半分ウソです。
本来は、保育とはコレなので。
これこそが普通の保育なんですよ。
戦後の日本は幼児教育(保育)に予算を割けませんでした。
小学校の制度を整えなければならなかったからです。
【小学校的】な考え方が保育に強く影響したのは仕方ないことでしょう。
そうして【ミニ小学校】のような大人主体の保育(①)が中心になりました。
また平成時代は、その反動から子供主体の保育(②)が注目されました。
しかし、もう終わらせなければ。
【普通の保育】を普通にしなければ。
高階幼稚園は【普通の保育=相互主体の保育】を守ってきました。
多くの人が「これが普通なんだ」と考えるようになるまで続けます。
夏休みの終わりを前に、毎日そんなことを考えています。
いよいよ2学期です。
楽しみです。
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